広島青年へんろ隊、お四国を行く その壱

2017/12/28

四国に、「へんろ道」と呼ばれる道がある。全長千五百キロメートルにも及ぶその道の大部分は、今や舗装されたアスファルト道である。

わずかに残された昔ながらの古道の一つ、79番国分寺から80番白峰寺に向かう、俗に「遍路ころがし」とも呼ばれる急坂を、黒衣に身を包んだ九人の僧侶が整然と登坂していく。高野山真言宗広島青年教師会の、新設歩きへんろ隊の面々である。

へろへろ隊
 新選組の如く颯爽と…、といきたいところではあるが、いざ77番郷照寺から歩き始めてみると、隊列バラバラ、横に並んでおしゃべりのダラダラ歩き、途中参加、途中離脱自由、弱音吐き放題。へんろ隊どころか、へろへろ隊である。

最後尾から様子を見ていた、歩きへんろ成満者&隊長(?)の私は、頭がクラクラしてきた。「こいつら、へんろをナメテイル・・・」。

何のために黒衣、網代傘、金剛杖というお大師さんスタイルで統一したのだ。相手が大のオトナだけに、小学生の遠足軍団よりも始末が悪い。一から叩き直さないと、と気色ばむが、初っ端からゴチャゴチャ言って、嫌われても面倒くさいし、まあ、その内なんとかなるだろう、と時速4キロメートルの最低速度の維持と、園児に諭すように最低限の注意だけをして、後は放っておいた。・・・かなりいい加減な隊長である。

 副隊長は、これまた歩きへんろ成満者のH田隊員。最も信頼できる私の右腕である。・・・のはずだが、1キロメートルも歩かない内に、「靴の踵がモゲました!」と・・・。「オマエがへろへろ化の元凶かい!」と、心の中で激しくツッコム。

 78番高照院を打ち、境内で昼食。から揚げ弁当とトンカツ弁当。ともに大盛りだ。不精進極まりない昼食を、懺悔のかけらも無くペロッと平らげて、出発。

79番国分寺に向かう道中、土手道にさしかかると、さすがのへろへろ隊も、容赦なく照りつける太陽光線と、日頃の運動不足のツケが徐々に出始めた足痛に、次第に口数も無くなり、黙々と歩を進めることに専念しだす。隊列はあいかわらずグニャグニャではあるが、なんとかそれらしい雰囲気になってきた。善哉善哉と最後尾でニンマリする。

 歩く姿はへろへろ隊でも、普段は一山の住職、副住職方。札所ではさすがに「ビッ!」としている。九人での読経は迫力満点である。

へんろころがし
 13時半、79番国分寺に到着。「次はあの山に登るからね。」と本堂裏手の山並みを指差すと、「エッ、マジですか?」と隊員中最重量のH井隊員。若干顔つきが変わるが、それでも彼のアタックの意思は固い。

我々の倍近い重力に、敢えて挑戦しようとする彼の決断は、隊員三人分の勇気に相当するであろう。最年長のE坂隊員は、迷わず伴走車のハンドルを握り、車上の人となる。賢明な判断と言えよう。

 さあ出発。整備された道を半時間ほどダラダラと登る。「なんだ余裕じゃん」的空気が流れるのを肌で感じる。

「フッフ、これからなのだよ、キミ達…」、と私は心の中で軽くツッコミを入れつつ、余裕の顔で皆と歩調を合わす。

 しばらく登ると、突如、道が丸木で段をこしらえた階段道に変わる。勾配が急なため、ジグザグに道が登っていく。

無ければ良いのに、無いと淋しい。へんろで、こんな道に出会うと、いつもそんな風に感じてしまう。次第に、息がハァハァ、心臓バクバク、足がピキピキの三重苦が襲ってきた。

 「おーい、少しぺースを落とせよー!」と、先頭に声をかける。隊員の心配をする優しい隊長のフリをして、実は自分がいっぱいいっぱいなのであった。

 「山頂まで、あと五百メートル」の標識。ここからの長いこと!

ここまで、驚異的な頑張りを見せていたH井隊員も、我々の倍にも及ぶ重力には逆らうことができず、ズルズルと後退していく。

「心配するな、なんかあった時は、みんなで拝んでやるから…」。口に出すと洒落にならない状況なので、言葉を飲み込んだ。

「これこそ修行だ!」と、この瞬間に思っている者は誰一人いなかったはずである。「オイオイ、マジかよ!来るんじゃなかったゼ」であろう。なんせ、生粋のへろへろ隊なのだから。

死闘の末、頂上の五色台スカイラインに到達、と言うか、なんとか這いずり上がった。

ありがとう、お大師さま
ここからは、樹木に陽射しを遮断された、薄暗い古道を行く。80番白峰寺までの三・五キロメートルのアップダウンを整然と隊列を組んで、足早に進む。どこから見ても、我々一行は、もうへろへろ隊ではない!

地獄から生還してきたような精悍な面構えで、新選組のように、かなりカッコイイはずである。その辺の一般おへんろさんが、ビビッて道を開けるくらいの代物であろう。「どうやっ!」って感じである。

古道の素晴らしさに浸って歩いているその時、「お大師さま、ありがとう!」。古参のK尾隊員のつぶやきが聞こえた。いつもなら、「なぁに、カッコつけてるんですか!」と、S梅兄隊員あたりが、すかさずツッコムところなのだが、それも聞こえてこない。そう、まさに皆が同じ気持ちなのであった。

登山を筆頭とするアウト・ドアと、へんろの絶体的相違はこの点にあると私は思っている。

「そうそう、イイ感じだ。この雰囲気が出てくれば、もう大丈夫!」。半日にして、へろへろ隊は、真っ当なへんろ隊に進化を遂げつつあるようだ。

歩行三昧
余談であるが、歩きへんろの醍醐味の一つに、「歩行三昧(禅定)」という境地がある(と思う)。

私が勝手に付けた言葉ではあるが、何人かの歩きへんろ体験者の著書でも、似たようなことを書かれているのを拝見したことがある。

かつて、私がそれを初めて経験した時、二十一キロメートルの道のりを三時間で歩いていた。そこに至るには、様々な条件が必要だったのだが、一度経験すると、条件さえ整えば、意識的に「歩行三昧(禅定)」状態に入ることが可能となった(ときどきだが…)。

今回、そういう体験をした隊員はいなかったであろうが、回数を重ねる内に、是非、それもモノにして欲しいと願う。

そんなことを考えている内に、木立の中に80番白峰寺の屋根が見えてきた。

 その後、宿に入ってどうなったかは、読者のご想像にお任せすることにする。我々広島青年へんろ隊は、戒律にとらわれず、益々元気なのである(自慢することではない)。

地下足袋じかたび
 翌日、81番根香寺を打って、讃岐の風景を眼下に楽しみながら、山を下る。アスファルトの下りは、地下足袋で参加していた隊員には、かなりこたえた

ようだ。案内の段階で、軽登山靴を薦めたにも関わらず、数名の怖いもの知ら

ずが地下足袋を履いてきた。

次回も懲りずに地下足袋で来るようなら、そいつは間違いなくホンマモンで

ある。その時は、隊長の座を譲らなくてはなるまい。

13時ちょうど、今回の最終札所の81番一宮寺に到着した。

次回、我々広島青年へんろ隊が、いつ、どこに出没するかは不明である。なにせ、いきなり77番札所から打ち始めてしまうような、好きなところだけを気の向くままに歩く、とってもナイスな奴等なのだから。

(高野山真言宗広島青年教師会 会長 内藤快應 記す)

【広島県福山市坪生町1354-1 西楽寺 副住職】

【参加者】  江坂宗祥(寶幢寺) 内藤快應(西楽寺) 金尾英俊(東福院)
       平井典貢(護国寺) 濱田公道(大師寺) 菅梅弘順(正覚院)
       油田正光(真光院) 松山法明(西福寺) 菅梅章順(正覚院)

『高野山教報』2004年9月15日号に掲載