歩いてお四国 一人遍路記 その弐

2017/12/28

歩いてお四国 一人遍路記 その弐

 それは奇跡的な「歩行」であった、と思う。
 私は歩きながら三昧(さんまい)に入ろうとしていた。今のこの窮地を切り抜けるには、もうそれしかなかった。
 事態が急変したのは、歩き始めて3日目、やっとの思いで23番薬王寺にたどり着き、参拝を済ませ、旅館に入ってから掛けた一本の電話からであった。
 その日は21番太龍寺の麓(ふもと)の旅館から22番平等寺を経て、23番薬王寺までの約30キロの行程だった。30キロ近い道のりを一度に歩くことは、私にとっては初めてのことである。
 朝7時に旅館を立って、午後3時に薬王寺に到着した。途中、平等寺で30分の読経、峠の食堂で昼食30分。正味7時間の歩行である。時速にして4.3キロ。全く平均的な歩行速度であった。

宍喰
 高知県と境を接する徳島県側に宍喰(ししくい)という小さな町がある。サーフィンの世界大会が開かれるほどの浜に恵まれる半漁半農の素朴な町である。プロゴルファーの尾崎三兄弟の出身地でもあり、その生家の向かいに、高野山真言宗大日寺がある。高野山専修学院で修行していた時の同期生の寺で、修学中の夏休みに一度遊びにきたことがあった。
 ここ日和佐からは43キロ、鯖大師で一泊、宍喰入りは明後日の昼前の予定であった。挨拶に寄る旨を伝えるために電話したのだが、折角だから是非泊まるように、と言ってくれた。
 明日は27キロで打ち止めのはずであったのだが、突如42キロに伸びてしまった。今日よりさらに12キロ、3時間の延長である。想像もつかない。おもての酒屋でコップ酒を買い、あおって寝た。

リズムの相応
 夜半から降り出した雨は、雨足を早めていた。
 4時45分起床。
 気合が入り過ぎてか3時には目が覚めていた。干していた衣類をたたみ、素早く荷をパッキングして、6時に朝食を頂く。
 6時半出発。
 始めはゆっくり、次第に足を速めていく。楽に、早く、集中して歩けるよう、さまざま工夫する。
 呼吸、念誦(ご宝号)、金剛杖の突き様、の各々のリズムが最も相応するよう調整する。 これらが調和しなくては長距離を一定の速度で歩くことはできない。目標物をあまり遠くにおかずに、3メートルほど先の道に目線を落とす。周囲の景色を無視し、その辺りを歩いているのかを極力考えないようにする。
 自然に眼は半眼になる。頭のてっぺんから足の爪先の隅々まで気が満ちているのを感じる。10キロ近い荷が肩に食い込むが、気にはならない。

時速7キロ
 どのくらい時が過ぎたであろうか。その内、私は「その状態」に達していた。歩いているという感覚ではなく、声に出さない念誦のリズムにのって、周りの物が通り過ぎていくような感覚である。
 23番薬王寺のある日和佐を立ってから3時間、雨がしのげる軒先で水分補給する。地図で位置を確認すると、そこは出発から21キロ地点。一瞬わが眼を疑った。
 時速7キロ・・・。
 しかも、途中一度10分の休憩をとっている。この雨だが、疲れはほとんど感じていない。 私は神通力という言葉を思った。もちろんこの程度のことが神通力であるはずはないし、もっと早く歩ける人はいくらもいるだろう。しかし、私の限界を超越していたことは確かであった。
 そのことは、春の第一回目の遍路行の後、富士山、石鎚山とつづけて登り、自分の体力をある程度承知していたことからも分かる。

歩行三昧(ほこうざんまい)
 三昧(禅定)に入ることによって不可能を可能にすることができる、という。
 いや、この言い方は誤りであろう。本当のところ「可能」とは、自身の憶測による自身で造った壁であって、同時に自身に対する価値でもあるだろう。それは一種、諦めと言っていい。
 三昧に入ることによって、自分では認識しづらい潜在的な能力を引き出し、「不可能」の殻を破ることを可能にするのではないだろうか。
 私は、確かに歩きながら三昧に入ることができたのだと思う。毎朝の修法でも、三昧に入るのは容易ではないというのに・・・。
 午前10時50分、鯖大師に到着。当初の宿泊予定地。午後3時頃到着する予定であった所だ。
 門前のうどん屋で少し早い昼食をとる。店の方にことわりをしてから隅に濡れたカッパ、網代傘(あじろがさ)、リュックサックを下ろさせていただく。全身、バケツの水をかぶったかのように下着から靴の中まで水浸しである。汗と雨と、もう何がなんだか分からない状態だ。
 汗はともかく、雨に対する策は完璧のはずであった。

雨を楽しむ
 散々な目にあった前回の苦い経験を踏まえ、前回同様、網代傘用ビニールとポンチョ式カッパに加えて、膝下20センチのスカート式の雨具を開発した(後に分かったことだが、着物用に既に販売されている)。
 腰の部分にゴムを入れ、スナップボタンを取り付け、横開きの腰巻型にする(家内の手製)。ポンチョ同様に着脱を容易にするためである。
 さらに靴の上部から膝下までを覆う登山・トレッキング用のレインスパッツを着用した。考え得るかぎりの重装備である。お陰で荷の重量は500g増えた。
 しかし、しかしである。またもや前述の如くの惨敗である。 
 前稿からお読みの方は既にお気づきだと思うが、私はとりあえず道具に凝るのである。靴も前回のナイキ「エア・ジョーダン12」から、ナイキ「エア・アプローチ(黒)」に変更。 これは、アウト・ドア用の靴で、悪路に強く、しかも軽量である。
 雨具にしても、靴にしても、これら凝りに凝って選んだ装備が、旅先でその効力を発揮したとき、私は至極の喜びを感じるのである。私にとっては、旅に出る前の準備段階から既に楽しい時間なのだ。 
 次回はさらにパワーアップして臨む所存だ。龍神よ、必ずや次回も我に雨の試練を与えたまえ。
 逃げるなよ・・・。

楽あれば苦あり
 さて、ここまで来ればあと残り15キロほど。これまでと同じ速度が維持できれば2時間半で着く計算である。頑張ってもう少し足を延ばせば、宍喰どころか高知県に入れる。そうすれば室戸岬まで40キロをきることができる。ひょとすると1泊2日で日和佐から室戸岬まで行けるかもしれない。そんな夢のようなことを思いながら、快調に前と同じペースで歩いている・・・つもりであった。
 だが、何かが違う。集中できず、気がゆらいでくる。ご宝号を唱えるリズムが掴めず、歩数、杖のリズム、全てがチグハグしている。
 30分も歩かないのに、荷が肩に食い込み、降ろしたくて仕方がない。雨がしのげる軒を探しながら歩くが、峠の国道でそんな場所は見つからない。
 峠を越えて、ようやく腰を降ろせた。もう雑巾のようにボロボロである。先ほどの勢いはどこにも無い。全く苦楽は背中合わせだ、と痛感する。まともに休む間もなく、濡れた体が冷たくなってきた。歩くしかない。

凛(りん)として歩く
 私は、好きでお四国を歩いている。家族やお寺に迷惑をかけ、無理を言って出てきているのだ。情けなく下を向いて歩いている訳にはいかない。ましてや土地の人たちに同情されるような姿だけは晒(さら)したくない。同じ歩くなら、凛として歩く姿を見てもらいたい。
 そうだ、早くなくてもいいから、胸を張って歩こう。
 雷雨の中、波間にサーファーが浮かんでいる。
 午後3時半、宍喰に到着した。8年ぶりの宍喰。友とそのご家族は、ズブ濡れの私を暖かく迎えてくれた。
 翌日、予定していた宿がとれず、27キロ歩き、結局、室戸岬まであと12キロを残して、ようやく見つけた民宿に入った。
 四国へんろをするにあたり、私は「歩く」ことを一つのテーマとしている。
深緑の山に分け入り、湧き水を見つけたときの喜び。里には生活の匂いがある。道端の無人販売みかんを買ったり、土地の人に道を尋ねたりするのが、ほのぼのと楽しい。格好つけて言えば、札所を参拝するのはそのついでであり、目的ではない。
 今回経験した奇跡的とも思える「歩行」は、数十キロにもわたる単調なアスファルトの一本道だからこそ出来たことで、地図や道端の「へんろマーク」に頼って歩くような所では到底出来ないし、その必要もない。
 しかし、いざとなればこういう歩き方も出来るというっことが発見でき、自分の潜在能力の1つを垣間見た嬉しさもある。

お大師さまのもとへ・・・
 最終日、室戸岬大師像前から午前10時27分のバスに乗れば、今回の遍路行も終わる。いろんな想いが頭をよぎる。
 このたびの遍路行に出る直前、私は人間関係がうまくいかないことで徹底的に落ち込み、そしてなかば逃げるように家を出て来た。お四国を歩けば、全てを忘れられる、そう思った。
 波の音を聴きながら、足早に歩を進める。
 歩き始めて2時間半、山裾に修行大師の白い像が見えた。
 嗚呼、お大師さま・・・。
 少しずつ、だんだんとお大師さまが大きくなる。
 胸の奥の方から熱いものが込み上がってくる。 
 嗚咽を押し込められないまま、お大師さまに一歩一歩近づいた。

※歩行記録
一日目(快晴)  徳島駅~18番恩山寺~19番立江寺~ちとせ旅館(泊) 歩行距離 18.2キロ
二日目(晴れ)  ちとせ旅館~20番鶴林寺~21番太龍寺~坂口屋(泊) 歩行距離 26.7キロ
三日目(曇り)  坂口屋~22番平等寺~23番薬王寺~きよみ旅館(泊) 歩行距離 29.8キロ
四日目(雨)   きよみ旅館~鯖大師~宍喰・大日寺(泊)        歩行距離 42キロ
五日目(快晴)  宍喰・大日寺~尾崎・民宿とくます(泊)        歩行距離 27キロ
六日目(晴れ)  尾崎・民宿とくます~室戸岬             歩行距離 13.2キロ
総歩行距離 156.9キロ  万歩計による歩数測定 211,733歩

※経費(準備用品代は別)
電車賃(往復)   13,180円
宿泊費(4泊)   26,850円
飲食費       4,830円
合計       44,860円

高野山教報』に掲載