四国嶮山を登り攀(よ)じ

2017/12/28

早朝6時、突如落ちてきた雨は境内の砂を跳ね上げるほどの激しさだ。出発が危ぶまれるほどの雨であったが、出発予定時刻の6時半にはスッキリあがった。
 一行は、私を含めて三人の青年僧侶。お大師さま足跡の行場を体験する試みである。

石鎚山
 瀬戸中央道を経由して伊予インターチェンジを下り、山道を石鎚山ロープウェイまで行く。車で3時間の行程である。
 ここから普通ならロープウェイに乗るところだが、我々はそうはせずに登山道を徒歩で登る。土産物屋で尋ねると、今では徒歩で登る人は稀であるという。とりあえずの目標地点は、標高1,400メートルの成就社。ロープウェイの終点、石鎚山頂までの中間地点である。
植林された杉木立の間の急勾配をジグザグに登坂する。木立が真夏の太陽光線を遮ってくれ、時折ヒンヤリと気持ち良くそよぐ風の通り道があり、つい足が止まってしまう。自然の優しさに感謝し、30分毎に休息をとる。首から掛けていたタオルと着ていたTシャツを絞ると、バケツにつけた雑巾を絞るときのように汗がジャーッと滴り落ち、思わず笑い声が上がる。
 午後1時、ちょうど3時間で成就社に辿り着いた。

今夜、宿泊予約している旅館で手持ちのおにぎりを食べ、当座使わない荷物を預かってもらう。
 成就社で御法楽を捧げ、眼前にそびえる切り立った石鎚権現の御神体に励まされるように、午後2時、山頂に向けて踏み出した。
 途中、下山してくる人と何度かすれ違い挨拶を交わす。登り始めるには、やや遅い時間ではあるが、景色を楽しみながら登る。

 

鎖行場
 しばらく行くと、噂に聞こえた鎖行場である。「試しの鎖」とあるが、見上げても鎖の突先が見えない。信じられない思いを抱きつつも、とにかく鎖に飛びついてみる。
 足がかりがほとんどない。腕力だけで体を上へと持ち上げる。一番手は駆け上がるようにして、すぐに見えなくなってしまった。もう一人も背に金剛杖を縛り付けて先方につづく。子供の頃に見た、スパイダーマンというテレビ漫画のヒーローを彷彿とさせる。そして、この手の漫画に必ず出てくるドジな三枚目の如く、私一人ガケの途中にお取り残されてしまった。
 それでもなんとか70メートルの鎖を登りきって岩のてっぺんに立つと、石鎚の岩壁は目前である。

山頂はここから小一時間ほどだが、これよりさらにキツイ鎖行場があと3本あるという。「これは死ぬな・・・」と直感した。
 幸いに鎖を回避する道があるので、私はためらうことなく回避道を選んだ。勇気ある撤退と、自己弁護しておきたい。 あとの2人はこれまた、ためらうことなく鎖に飛びつく。
 私は以後、この2人のことを「スパイダース」と呼ぶことにした。

午後5時、石鎚山頂に到着し、さらに峰続きの西日本最高峰(1,982メートル)の天狗岳に立つ。周囲にここより高い峰は無い。
 力いっぱいの声で般若心経を唱える。3人の声は法界に満ちるようにどこまでも広がる。
 「権現さま、ありがとうございます。南無石鎚大権現。」「そして、この功徳力が普く一切に及びますように。」

 

捨身ヶ嶽
 石鎚山からの帰りがけの善通寺の近くに、お大師さまが七つの時に身投げしたとされる捨身ヶ嶽があり、山の七合目あたりに四国73番霊場出釈迦寺の奥之院の庵がある。出釈迦寺から庵までは、半時間の登りである。 途中、お大師さま御加持の湧水を水筒に頂く。
 さらに庵の裏手のガケを登ったところに、お大師さま身投げの岩があるという。ガケに打ち込んである鎖を使うまでもなく、10分ほどで攀じ登った。
 そこには、お大師さま稚児像と、岩の護摩壇があり、目前は断崖絶壁になって庵を50メートル下に見下ろす。
 少年というには幼すぎる七つの真魚(お大師様の幼名)さまは、まさにここから身を投じたのだ。
 絶望、逃避からではない。自らの使命、誓願を仏さまに問うが為、と言い伝えられる。

いずれにせよ、ここでの出来事がなければ、真魚はお大師さまには成り得なかったのではないだろうか。

 日々、私たちはただ流されるように仕事と生活に追われ、物質的欲求を満たすことに専念し、狭い人間関係の中で、一喜一憂している。自然の声に耳を傾けることすらない。
 この場に立ったとき、何かとても悲しい想いに駆られた。自らを問うてみる必要がありそうである。
 ここまでお導き下さり、ありがとうございました。南無大師遍照金剛。

1999年発行『ともしび』 掲載