祖師三礼 ~洛陽にて~

2017/12/28

我が五体を地に伏し、深くぬかずく。繰り返すこと三度、今、私が礼するお方は、インド名シヴァカラシンハ(632~735年)。漢名、善無畏三蔵、浄獅子とも翻ず。真言宗伝持八祖の第五祖にあたるお方である。
 墓碑のあるこの寺を廣化寺という。寺は洛陽の郊外、龍門石窟にほど近い伊河を望む丘の上にあった。

 平成10年の師走、中国最古の寺院、洛陽白馬寺を友好訪問し、同市でシンセサイザー奏者・西村直記さんのコンサートを開演し、大盛況を得た。私もこのツアーに同行させていただく事ができた。
 ツアーの行程には廣化寺は入っていなかったが、洛陽に着いてから善無畏三蔵の墓碑があることを思い出し、わがままを言って、急遽コースに入れていただいたのであった。金剛智三蔵の墓碑もその近くにあるらしいのだが、さすがにそこまでは言えなかった。

善無畏三蔵は鳥荼国の王家に生まれ、13歳にして王位に就くが、兄弟の妬みを買い、禅譲して出家したと伝わる。その後、顕密二教を修め、特に中インドに於いて全盛であった『大日経』系の密教に深く通じ、同経を携えて唐に渡った。
 因みに、密教のもう一方の車輪である『金剛頂経』は、まさに南インドに萌芽しようとしていた。その後、金剛智三蔵によって唐にもたらされる。
 弘法大師は、まだお生まれになっていない。

 私にとって、八祖の中でも特に善無畏三蔵に対する思い入れは殊更である。
 高野山大学での専門研究に『大日経』を専攻し、卒業論文に修めた。唐に於いて三蔵が『大日経』を講義し、それを一行禅師(伝持第六祖)が記した『大日経疏』は、同経を研究する者のみならず、真言僧必須のテキストとされる。この時、私は真言僧侶としてではなく、一学生であったこともあり、この二祖は礼拝するお方としてではなく、『大日経』のスペシャリストとして評価し、その恩恵を蒙った。

 その後、一定の修行(加行)を終え、真言僧侶になる過程に『大日経』、そしてもう一方の『金剛頂経』の両部の潅頂を授かった。
 さらに、己の菩提開顕の実践としてその法を修す中で、経典やその次第に書かれていない奥義をも知らなければ成就し難いことを知った。この奥義が資質の無い者に安易に洩れるのを恐れ、口伝として密かに伝えられてきたのである。
 祖師たちによって整理熟成され、第八祖・弘法大師によって我が国に東漸して、弟子、またその弟子へというようにして大切に守り伝えられてきた法流は、五十代余りを経て今にある。
 今、改めてこのことを思う時、教学を通じて培った仏教、密教思想の土壌に、事相の種を撒き、実践によって育み、実を結ばせ、その種をまた他の畑に撒いてやらなければならないし、この法脈を己で途切れさせてはならないと思うのである。 それがお祖師さまをはじめ、先師方への恩返しであろう。
 そして、この妙法をよくぞ私までお伝え下さいました、という喜びに浴して、私はお祖師さま、先師、眼前の阿闍梨さまに三礼する。

善無畏三蔵の墓碑に礼する時、、先師・稲谷祐宣大和上が、ある伝授の砌りに「大空位に遊歩(ゆぶ)して身秘密を成す」という『大日経』所説の言葉が好きだとおしゃられていたことを思い、師を善無畏三蔵に重ね合わせた。
 一昨年(平成9年)遷化された祐宣大和上が、まさに大空位に遊歩しておられる御姿を観じ、大和上さまの倍増法楽をここに深く祈念致し、大和上さまのお伝え下さった法脈が光り輝くよう精進します。どうか、お見守りください。    合掌三礼

平成11年正月 金剛末資 快應