異口同音(いくどうおん)

2017/12/28

一切義成就(釈迦)菩薩は、いまだ覚りを得られず、菩提樹の下に座禅しておられた。そこに、一切の如来たちが降臨現れ、異口同音に言葉を発せられ、覚りへ至る方法を伝授された。
 一切義成就菩薩は、その方法に従い、成道し、金剛界大日如来となられた。と『金剛頂経』に説かれる。

ニューヨーク・カーネギーホール公演での南山声明と御詠歌は、「異口同音」即ち、多でありながら同一の言葉を、同一の音声で語る、ことの集大成であったように思われる。

 声明では、「師の伝」が鍵となって、同じ南山声明であっても、その「伝」が異なることによって、幾通り、いや無数の声明が生まれ、存在する。この秘密性の故に、一部のプロフェッショナルが生まれ、崇拝される。
 その異なる声明が一箇所に集うとどうであろうか。他に合わせることが出来ない、か、全く合わせる気が無く、我が道を行く、かである。まるでチューニングのしていない楽器のオーケストラが、各々異なる楽譜で演奏するようなものである。
 これを1時間から1時間半やってしまうのだから、唱える方も大変だが、聴く方はもっと大変である。はっきり言って苦痛である。

まずはチューニング。これが公演練習の第一歩であった。
 電子オルガンで「キー」音を定める。それぞれが「我が伝」をあっちへ置いといての取り組み。主張(我)と譲り合いの狭間で、やっと一つのものになったのは、本番数時間前。
 対して御詠歌はというと、同じ教典と、それを忠実に再現する師によって教授されることにより、初対面同士が、いきなりに唱えることが出来る、という強みがある。先師の努力の賜物であろう。
 南山声明も、その努力をしなくてはならない時期が来たのかもしれない。

 最近、御詠歌の特訓に励むわが寺の本堂から、電子オルガンの音が聴こえてくる。同様に、早朝の読経の時間に、各寺の寺から電子オルガンの音が聴こえてくる日も近いかもしれない。

1997年7月17日付 御詠歌通信・長泉寺支部『先心』 掲載