静寂の中、きらびやかな袈裟を纏った40数名の僧侶が、カーネギーホールの客席の間に立列した。
高野山大塔の梵鐘の音 ― と同時に「降伏魔力 ― 」と一斉に発声。その音は、普段本堂で唱えられるものとは幾らも高い、ホールの隅々にまで突き刺さる音。
聴衆の多くは、どこから聞こえる声なのか分からなかったようであった。
「よい、いける!」唱えながら皆がそう感じた筈である。そのまま庭讃の鉢の音に導かれるままステージに進列した。不思議に緊張感はない。ただ決められた手順だけを頭の中で反復している。
袈裟とは不思議なものである。それを着けると人格が変わる。それを着ける資格のあるものと、ないものとでは天地ほどの差があるように思う。
「我は金剛サッタなり、大日如来なり」と観ずる。その時、寺の本堂も、檀家のお宅も、カーネギーホールもない。すべてが菩提道場であると。
仏の妙智を称え(四智梵語)、花を捧げ(散華)、マンダラ道場の諸仏に礼拝し(対揚)、大般若経転読で最高潮を迎える。経典を両手一杯に扇を開くようなパフォーマンスが、果たしてニューヨーク市民の目にいかに写るのだろう。 仏教の教えと、古の魂と、自他が共に等しく幸あれと祈る(称名礼)。
如来説法の妙なる音を聴き、その音と瑜伽共有し、心地良い三昧を体験した。
つづいて、日本で真言密教の修行をされたエディソン阿闍梨の阿字観瞑想が披露された。
優しい声である。弘法大師に心酔し、衆生を心から慈しむ阿闍梨の真面目なお人柄が伝わってくる。
出番を終えた我々声明衆は、客席の聴衆に加わり、シンセサイザー、尺八、琴による西村直記・宇宙巡礼組曲に聞き入った。日本古来の楽器である尺八・琴と、シンセサイザーという近代的万能楽器とのミス・マッチが面白い。田辺頌山氏の尺八の響きは、いまだに耳に残る。
金剛講合唱団の精鋭が唱える御詠歌の素晴らしいこと! これに舞踊が花を添える。このユニットは世界に通用する! それほどの出来栄えである。金剛歌・舞菩薩とはかくあり、と思えた。さらに御詠歌隊140名が厚みを加える。最高齢85歳の女性をはじめとする、地方支部で日夜精進している一般の方々である。
カーネギーホール。音楽を志す者にとっては特別、世界最高の舞台である。世界のトップ・アーティストによって数年先まで予約で一杯だそうである。この公演が実現し、トップ・アーティストでも何でもない我々が舞台に立てた奇跡。
さらに声明でいうならば、最終リハーサルでもうまく揃わず、本番数分前まで微調整を繰り返した。
まさに袈裟を纏ったその時、何事もなかったかのように、ひとつの音、ひとつの動きと相成った。奇跡と思えた。お大師さまのご加護を感じずにはおられない。
その陰には、現実に多くの障壁をクリアーし、公演実現に尽力された実行委員の方々がいた。真の立役者である。宮本光研住職(筆者が平成6~10年まで勤めた、岡山市・真言宗御室派・長泉寺住職)もその一人として、孤軍奮闘された。ご住職のこの一年のご心痛を思えば、NY公演の成功は何にもまして嬉しい。